いっしきまさひこBLOG

AI・機械学習関連、Web制作関連、プログラミング関連、旅行記録などなど。一色政彦。

未来のIT業界とクラウド コンピューティングに対する考察

cloudcomp.jpg商用コンピュータの過去の時代の流れと、これからの時代の流れの予測をシンプルにまとめてみました。

1. 【1950~1990年】メインフレーム(汎用機)時代

 → 利用者:一部の大企業(少ない)。

 → 価格:大企業なら買えるレベル

 → 用途:大企業の基幹業務。

2. 【1980~2020年】パーソナル コンピュータ時代

 → 利用者:一般の人から大企業まで(多い)。1人1台程度

 → 価格:中小企業や個人でも買えるレベル

 → 用途:一般業務、日常の連絡手段や作業、ゲームなどなど。

3. 【2010~2050年】クラウド コンピューティング時代

 → 利用者:一般の人から大企業まで(多い)。1人5台程度

 → 価格:安い。個人がいくつでも買えるレベル。薄利多売の世界。

 → 用途:一般業務、日常の連絡手段や作業、ゲームなどなど。そのほか生活を便利にするサービス(詳しくは下記)。

2010年から始まると予測しているクラウド コンピューティング時代ですが(まぁ、すでに始まっていると見てもいいかもしれませんが)、このころになるとソフトウェアやサービスの価格がぐっと安くなってきます。結局、経済市場の世界では、ものがあふれてくると、どうしても安くならざるを得ないと思います。

ここでもし「絶対にうちは安くしない」と言い張ったところで、機能は少し劣っても圧倒的に安いものを他社が出してきたら、それに負ける可能性が高くなります。成功した企業は機能改善して顧客満足度を追求するのが普通ですが、そうするとそれよりも機能の劣る顧客満足度の低い製品が出せなくなります。そうこうしているうちに機能は劣るが価格が安い他社の製品に負けてしまうのです。いわゆる「イノベーションのジレンマ」。

それぞれの製品が安くなっていくとすれば、企業の利益は少なくなるので、結果的に現在の(IT業界の)パーソナル コンピュータ市場の規模は小さくなっていってしまうはずです。そう考えると、IT業界に関わっている人の未来は暗いのでしょうか? その答えは僕には分からないし、誰にも分からないでしょうが、クラウド コンピューティングに可能性を見ることができると僕は考えています。

すでにコンピュータは1人1台程度は普及していると思います。だから、メインフレーム時代からパソコン時代に起こった「パソコンを持っていない人にもっと普及させる」という手法による市場拡大は、もうさすがに期待できません。ではクラウド コンピューティングでは、どうするか? それは、製品を安くしても1人3台も4台も持たせて、トータルでのIT業界の収益を高めることです。

とはいっても「そんなに何台も要らないよ……」という反応ばかりでしょうが、確かにそのとおりです。しかしクラウド コンピューティング時代では、ノート パソコンとか、デスクトップ パソコンとかだけをITの対象としてはいけないと僕は考えています。そうではなく、コンピュータが動くデバイスの種類を増やしていかなければならない。それ以外にIT業界がいまよりも飛躍的に発展していく道はあり得ない。僕はそう思います。

例えば、ネットワーク サービスとつなげてリアルタイムに番組視聴者のコメントを表示させる「テレビ」や「ラジオ」を作ったり、ネットワーク サービスに接続して最新ニュースのアラートが表示される「時計」を作ったり、冷蔵庫の中身をネットワーク上に情報を送信して買い物に時に携帯でチェックできるようにする「冷蔵庫」を作ったり、そういうふうにコンピュータが載る領域を広げる以外に、IT業界が今後めざましい発展を遂げる可能性はないと思います。

もしクラウド コンピューティングが単にシステム形態においてパーソナル コンピュータに取って代わるだけで、それ以外の広がりや革新がないのであれば、IT業界の未来はそれほど明るくないかもしれないと僕は危惧しています。だってIT業界で働いてもお金が儲からなくなるわけだから、この業界に入りたいという人もより少なくなるし、この業界に今居る人も居続けたいと思わないですよね?! クラウド コンピューティング時代の幕開けは、上に書いたような対象デバイスの拡大がセットでなければならない。そうしないと、IT業界の人は上記の理由でジリ貧になってくる可能性があります。クラウド コンピューティング時代の到来が、IT業界も消費者も幸せにならずに、双方にとって悲劇になってしまう可能性もあるということです。だからこそ、時代の過渡期にいる(と思われる)今が、非常に重要な時間なのかもしれない。ふとそう思いました。未来からいまを振り返ってみると、「あのころは激動の時代だった!」とか言っているのかもしれませんね。